たとえばこんなはなし

 

気が向いたら書くブログ

 

適応障害と診断されて大好きだった仕事から離れて、もうすぐ1年が経とうとしている。

 

辞めた話→(https://t.co/Z3UiwwFdQv)

 

カウンセリング先やメンタルクリニックでいまだに当時を思い出して、悔しさや虚無感や怒りで感情がグチャグチャになって泣いてしまうこともあるけれど、少しずつ「終わった過去の出来事」として受け止められるようになってきた。ここに綴った言葉たちも今なら「あのときは大変だったな…」と少しだけ思える。でも笑い飛ばすことはまだ出来ない。

 

形のないものが壊れるとこんなにも長引くのか、というのがシンプルな感想。トラウマとかフラッシュバックという言葉を使うと大袈裟だけど、ふとしたきっかけで気持ちがガクッと落ちてしまい、動けなくなり、そしてまた何かのきっかけで生活が出来るようになる。それをずっと繰り返している。

 

無職になって1年と言うと聞こえは悪いけど、何をするにも誰かの同意や許可を得たり、誰かのためだったり、自分の嫌だと思うことを我慢したり、とても曖昧に生きてきたから、生まれて初めて「本当の自由の意味」を噛み締めながら過ごしている。

相手の顔色を伺わず、どう思われるか気にせず、これ!と思う自分の好きなことを、直感を信じて選択するってすごくむずかしい。自分を良く見せたいって感情はきっと誰の中にもあるだろうし。

一人暮らしの小さな部屋で、誰の何のためでもない、まっさらな自分とたくさん向き合った。

まず最初に漫画、アニメ、小説、お笑い、美容、メイク、料理、と今まで好きだったものをとにかく取り返した。その日の体調によっては何にも没頭出来ないこともあるけど、あのとき手離すことしか出来なかった好きなことにもう一度ちゃんと囲まれている。人は所詮孤独だから、人生を豊かにしてくれるものは結局趣味なのかもしれない。

次に、心底どうでもいいやり取りをしているSNSが馬鹿らしくなって少し距離を置いた。もちろん感情を言語化して発散させることは大事だと知っているけど、リアルな友達や顔見知りがいる界隈ではやりたくない。プライドが高い、とも受け取れるかもしれないけど(自分の弱さを見せられるのもその人の強さだと思う)、私は単純に「可哀想」とか「大変だね」とか「心配」で人の気を引きたくない。「大丈夫?」から始まる「心配してくれてありがとう」の定型文のようなやり取りに意味があるとは正直思えないし、SNSに囚われている人が多すぎる。私は人との繋がりを再認識して安心したいわけじゃないから、実物を知らない匿名のインターネットでたまにこうして感情を言語化している。

コロナ禍でなければまた違ったのかな、とも思う。SNSでの繋がり方がリアルの人間関係に大きく影響するようになっている気がする。付き合い方が今とてもむずかしい。

 

 

鬱状態が回復したきっかけは確実に一人暮らしになったことだった。

 

声が聞こえるだけで耳の奥がパチパチと鳴るような不愉快な三半規管の音がいつの間にかなくなって、やっぱりずっと嫌だったんだと思い知った。(飛行機に乗ったときやあくびをしたときの音)

 

警察や区の施設が介入して、肉親から住民票を取られないようにガードをかけた、なんて匿名のインターネットだから言えるのであって、無職を1年も続けていたり、あまりまともな人生じゃないけど、嫌と思うことから離れて、逃げて、やっと自分の人生の主人公がちゃんと自分になった気がする。最初からそうだったはずなのに。

 

用意された期待のレールからはみ出ないように慎重に歩いてきたし、何に使ったか考えたくもないけどお金もたくさん取られてきた。帰る場所がいつまでもなかった。連んでいる友人が嫌いだったし、お酒は好きだけどダラダラと長い時間飲み続ける生活は理解できなかった。強制される思想が憎かった。

逃げられない、と洗脳されていたのは私の方だったのかもしれない。

 

職場も家庭環境も人間関係も、乱暴なやり方だったかもしれないけれど全部リセットして、確実に新しい自分の人生を歩み始めた1年だったと思う。色々なことがあったから想像力が少し深くなった気がするし、軽はずみな言葉をより一層選ばなくなった。これまで経験してきたものは無意味とは思わない。きっとこれで正解だった。

 

医療従事者の端くれとしての知識と技術はなくなるものじゃないから、いつかまた…とは思うけど、もう少し休んだら、違う世界も覗いてみたいな。

 

自分の年齢を3で割った数字が人生の時間帯、みたいな話を聞いた。27歳は3で割ると9時。

 

まだまだ朝の方にいると思うと、気持ちが軽くなるね。