たとえばこんなはなし

 

気が向いたら書くブログ

 

適応障害と診断されて2ヶ月半が経った。天職だと思っていた大好きな仕事を休職して、そして結局戻れずに辞めた。

 

毎朝8時には職場に着いて朝の準備をして、その日の患者さん次第で夜は22時前後まで働いた。

もちろんボーナスもないし、残業代という概念もない。好きな日に有給なんて取れないし、連休はお正月とお盆くらい。どんなに長く勤めても退職金も出ない。この業界はどこもこれが当たり前で、むしろウチはお正月とお盆休みがあるだけマシだった。

 

私が以前勤めていた職場は病院で、馬鹿みたいに忙しく、有り得ない人数の患者さんを診てきた経験と自負があった。(ドクターからのお尻を触ってくるなどのセクハラを拒否したらひどいパワハラに変わり辞めた)

転職してから1年目も、2年目も、3年目も、お給料は上がらなかった。経験値がすべての業界なのに新卒のなにも出来ないスタッフと同じ、手取りはずっと変わらず16万円だった。いつしか給与明細なんて開かなくなった。拘束時間と手取りのお給料を計算すると時給は500円〜600円くらい、気付きたくなかったから休職するまで計算しなかった。

患者さんの予約を取れば取るほど、頑張れば頑張るほど、ただただ自分が大変で毎日グッタリ疲れて損をするだけだった。

 

それでもこの仕事が好きだったのは、自分の手の、指先の僅かな感覚と勘で、治療方法の組み合わせ方の経験とセンスで、ときには他愛もない会話をして寄り添って、誰かの役に立っていたからだった。

エゴイストかもしれない、自分が勝手に感じていた使命感かもしれない、でもその誇りがなければここまで続けて来られなかった。

何度も何度も「先生に出会えなかったら治っていなかったよ」「もうこの身体は先生がいないとダメだね」と感謝をされて、必要とされてきた。

だけどもう、やりがいだけでは頑張れなくなってしまった。患者さんがどんなに認めてくれても、感謝してくれても、必要としてくれても、お金が貰えない。

給与の交渉をしに行った人たちが次々と退職していった。どうなったかは詳しく知らないけれど、弁護士を交えて揉めた人もいた。多分1年で10人近く退職してたと思う。LINEのグループをいつの間にか抜けているから知るだけで、会社からの報告は一切なかった。

 

2020年の年末あたりから、労働に見合わない賃金で働く自分が惨めすぎて帰宅するや否や玄関で泣き崩れることが増えた。それでも朝になれば患者さんがいるからと出勤した。

好きだったはずのメイクや美容もまったく出来なくなった。アニメもテレビもYouTubeも見れなくなって、自分の食べたい物もしたいことも分からなくなって、欲のすべてが消え去った。

その日が終わればまた次の日の準備をするだけで、明日があるから早く寝なきゃ!と毎日眠剤を飲んで、次の日の仕事に追われた。ロボット?

今までみたいに自分で自分の機嫌すら取れなくなった。コンビニスイーツを買ってみても、大好きなビールを買ってみても、ゆっくり湯船に浸かってみても、なにをしても気持ちが晴れることはなかった。

患者さんと上司のことが大好きだったことも全部裏目に出た。私がいないと全部上司がやる羽目になって大変だから、もう予約は取っているから、とにかく私がやらなきゃ。(職場は私と上司の2人でまわしていた)

前の職場をひどい理由で辞めているから、人間関係だけはお金でどうにもならない、と思っていた。人に恵まれているだけマシだ、とずっと我慢した。

 

2月末、ついに患者さんの前で元気な自分を作れなくなった。いつもみたいに声が出ない。

私はもう誰かを救いたいとも、役に立ちたいともなんとも思えなくなってしまった。モチベーションなんてとっくになくなっていた。

そしてとうとう上司の前で泣き崩れた。もうこれ以上頑張れません、と始業前に家の玄関かのように泣きじゃくった。

心療内科を調べて急いで受診した。それまでずっと、生理前のPMSPMDDだとばかり思っていたから。

病院では中度の鬱状態と言われ、仕事のストレスが原因だろうからとにかく休んでください、拘束時間どうなってるんですか?と診断書が渡された。

休んでみると今までなんとか責任感だけで動いていた身体から一気に力が無くなった。

ベッドから起き上がれない。

頑張ってお風呂に入ってもどうすれば良いのか、いつもどこから洗っていたのか分からなくなってお湯を出したまま立ち尽くした。髪も乾かせない。手足に鉛がついたみたいに重かった。気を抜くと目からボタボタと涙が止まらなかった。

何も出来ない自分がとにかく嫌だった。仕事も休ませてもらっているのに日常生活すら出来ない、劣等感に苛まれた。

それでも処方された抗不安薬を飲むと負の感情が30分程度で消えた。(薬で制御される私のこころとは?)

負の感情が消えると、今度は躁状態になった。やる気がどんどん湧いてくる。自分にやれることを頑張らなきゃ!と怖いくらいに前向きになり、洗濯をして、食器を洗って、掃除機をかけて、トイレ掃除、冷蔵庫の中身も取り出して掃除をして、調味料のフタも全部取って拭いたりした。

最初の頃は1日に何度も家の中で躁鬱状態を繰り返したけど、次第に気持ちの波が穏やかに、緩やかになっていった。ボタボタと泣き崩れることもなくなった。調子が良い日は外出が出来るようになって、スーパーに買い物に行き、料理を楽しんだ。近所のお店に1人でランチを食べに行けるようにもなった。

調子が良い日と悪い日を繰り返しながら、やっぱり自分の仕事を誇りに思っていたから復職したいと思った。仕事をしてる自分のことが、どうしても好きだったから。

それ以前に、泣き崩れて仕事が出来なくなったあの日から大好きな上司に直接謝っていない。このまま逃げるように退職するのが、心の底から申し訳なかった。

復職に向けて鬱や適応障害の治療法や体験談のブログを読み漁った。図書館に行って認知行動療法の本や自己評価の心理学の本を読んだりした。

4月末、抗不安薬を飲まずに日常生活が出来るようになった。ベッドから起き上がれる、家事が出来る、外出が出来る、物欲も食欲も戻ってきて、眠剤を飲まずに寝られる。ゴールデンウィークが開けたら復職しようと会社と話が進んだ。

5月の初め、私は帰宅時間が遅くなるほど鬱の傾向が強く出ていたから、なるべく早い時間帯での時短勤務を希望で出していた。けれどエリアマネージャーからは人が足りないから15時〜20時で働いてくれと提案された。患者さんは20時でも平気な顔をして入ってくるから、定刻で帰れるはずがないことは現場にいれば誰でも分かる。どうせ20時までの賃金で22時前後まで働かせるつもりだ。

仮に、20時だからもう帰っていいよと言われたとしても、残りの仕事(その日使用したタオルの洗濯と掃除など)を1人に押し付けて自分だけそそくさと帰れる図太さを、私は持ち合わせていない。早く帰ることが出来ても自分だけラクをするのは後味が悪すぎる。

 

極め付けに時給1050円と提示された。

これがもう、私の心をへし折る決定打だった。

 

自分がずっと誇りに思っていた国家資格が、中国では医師と同じような位置付けの仕事が、患者さんの身体に直接鍼を入れて治療できる唯一の技術が、ここ数年美容鍼の流行でさらに需要が高まっている女性鍼灸師が、たくさんの患者さんから必要とされてきた手が、東京都の最低賃金(1013円)より、たった40円ほどしか価値がないのだ。

自分の価値がハッキリと値段で見えたとき、なにかがプツッと切れたような、なにかがフッと消えてなくなるような、怒りと悲しみと絶望感と諦めがごちゃまぜになった不思議な感覚だった。

大切だった患者さんと上司との関係に、やっと踏ん切りがついた気がした。

納得出来ないので退職させてください、と言った。まさか私がそう言うと思わなかったのか時間も時給も考え直しますから…と言われたけど、もう訂正案すら聞きたくなかった。

1050円の一言で、すべてがどうでも良くなってしまった。

 

職場に残した荷物を取りに行き、上司にまた泣きじゃくりながら謝罪した。上司の奥さんのことも大好きだったから、2人に迷惑をかけてしまったことが本当に申し訳なかった。(奥さんはよく美容鍼の予約をしてくれていた)

体調が良くなったら美味しいご飯でも食べに行こうと言ってくれて、嬉しかった。お給料のことも段々とモチベーションがなくなっていたことも全部相談していたから、こうなってしまった結果を責めてないと良いな。(雇われ院長だからなにも権限はなかった)

 

エリアマネージャーには3年間有り難う御座いました、と言われたけど、大人気ない私は何も言わずに会釈だけして帰ってきた。

労働に見合うお給料だったら、私はこの仕事を天職だと信じて疑わず、なんでも頑張れたと思います、スーパーでも飲食店でも今は1100円で募集出てるの、ご存知無いですか…?喉まで出てきたけど、言わなかった。

職場には私しか鍼灸師がいなかったから、休職中の売り上げがガクッと落ちていたのをみて、少しは認めてくれるのかと期待していた。コロナの影響で在宅ワークが増えていたから、患者さんは減るどころか増えていた。エリアマネージャーには事の経緯・思っていることを全部話したのに、それでも1050円を提示してきたのだ。

 

それから鬱状態をぶり返した。

私は仕事をしてる自分が好きで、それだけで自分を保ってきたから、ひとりの治療家としての自分がそこら辺の誰にでも出来る仕事より価値がないとグサグサに刺された今、どんな風に生きようかと悩んでいる。

 

 

いつか自分のことを振り返ったとき「あのときは大変だったな」と過去の自分を愛おしく思えたら、この病気は寛解してると言えるでしょう、と誰かのブログで見たからツラツラとこんな話を綴ってみた。これでいつでも読み返せる。

 

色んなことを綴ってきたけど、私の、この指先の感覚は、自分以外の誰にも代わりがきかない、今後AIに技術を取られることもない、本当に本当にやりがいのある素晴らしい仕事だと、この思いだけは変わらないです。

でも、グループ整骨院の現場はこんなものです。(私にボランティア精神がもっと備わっていれば、もっと続けられたのかもしれませんが)

ひとつの職場の例として誰かの目に止まれば、もしその人がこれから同じ業界を目指す柔道整復師鍼灸師のタマゴだったら、なにかの参考になれば嬉しいです。