たとえばこんなはなし


気が向いたら書くブログ




大好きだったアルバイトの話をする。


大学生になったばかりの頃、ふと思い立ってたまたま見た求人サイトから唐揚げ屋さんとカフェと塾の講師のアルバイトに応募をした。



唐揚げ屋さんは不採用。


塾の講師は2年くらい勤めたけど、生徒の勉強を優先して自分の勉強が回らなくなったから途中で辞めてしまった。


個別指導の塾だったから、先生というより気軽になんでも聞けるお姉さんみたいな立ち位置で、小学生とも中学生とも高校生とも仲が良かった。



「先生これわかんない!」
「え〜私もわかんない!一緒に解こ!」



本当に適当な講師だった。だけど私の周りにはいつも生徒が集まっていてみんな楽しかった。ちゃんと成績も上がってたしオールオッケー。



カフェはオープンして間もない駅前のチェーン店。合わなかったら辞めれば良いや…と軽い気持ちで始めたつもりが、この仕事をしてなかったら今の私ではなかったと言えるくらいのめり込んだものだった。



考えてみると、人見知りで引っ込み思案だったのによく接客の仕事をしようとしたなと思う。


いらっしゃいませ、ありがとうございます、かしこまりました、最初は恥ずかしくて声すら出なかった。


私が勤めていたカフェはバイト用語でありがちな「〜〜になります」というような言葉遣いに対してとくに厳しかった。

お客様はアイスコーヒーになりません!220円にもなりません!

全部「〜〜でございます、〜〜円頂戴いたします/お預かりいたします」で統一だった。


今でもこの癖は抜けなくて、だけど1番丁寧な言葉遣いだって思ってる。



バイトを始めて1年くらいは人見知りは改善されず、オドオドしっぱなしで店長や先輩たちに手を焼かせた。






だけど職場で最年少だったからか、みんな私のことを可愛がってくれて、何度も教えてくれた。


人前に立って制服を着ると背筋がピッと伸びて、新しい自分に出会ったような不思議な感覚だった。



敬語がうまく使えなかったり、お客さんを目の前に言葉が詰まることもしょっちゅうだった。コーヒーカップを何度も落としたし、タバスコの瓶を10本以上一気に落として割ったこともあった。



失敗も多かったけど、なぜか辞めたいとは思わなかった。


カフェは早朝勤務だったから毎日4時半に起きて5時半にはお店にいた。


朝はバイトして、大学に行って、授業が終わったら塾に向かう日々。


朝は弱いはずなのに、四季の移り変わりを目の前で感じられる早朝がいつのまにか好きになった。


夏は涼しくて朝焼けが綺麗で、冬はまだ真っ暗な空に空気が澄んで星がよく見えた。


雪が積もった日、薄暗い朝に反射する真っ白で真っ青な雪景色が、見たことのない色で今でも忘れられないな。



先輩の見よう見まねだけど2年目あたりからようやく慣れてきて、人前に立つことに少し自信が持てるようになった。


自分に自信がつくと、お客さんに笑顔を振りまけるようになった。


常連さんと他愛のないお喋りまでできるようになった。


愛想の良いカフェ店員でいる自分が大好きになった。


出来ることが増えて楽しさが倍増した。早朝だったけど1度も寝坊したことがない。だってワクワクして起きちゃうんだもん。


後から聞いたら無遅刻無欠勤は過去に私だけだったみたいで、なんだか誇らしかった。


あんなにテンパってたのに、仕事に慣れてくると、混めば混むほど自分の中で盛り上がってきて、より丁寧でより早い接客になった。私はピンチになるとヒートアップできるタイプなようだ。


大学3年生のときには会社の中の接客コンテストで、全国のアルバイトの中から最終審査の10人くらいまで残った。



店長が本当に本当に喜んでくれた。



優勝できなくてちょっと悔しかったけど、当初の私を知ってるから別人みたいに大成長だねと褒めてくれた。




本当に過去の自分が嘘みたいだった。



天職だと思った。





バイトがない日は心を持て余すくらい、ずっとお店のことを考えていた。


3年目になると先輩たちはどんどん卒業していって年下の後輩が入ってきた。今度は私が教える番なのに、先輩風吹かすのはどうも苦手で向いてないなと思った。


それでも後輩たちは私を慕ってくれて仲良くしてくれて、私の接客がお手本だと言ってくれた。


先輩にもらった恩は後輩に返す、ちゃんと出来てたかな。



とにかく人に恵まれた最高の職場で、あのお店こそが私の居場所だった。



期末試験前も平気でシフトに入った。


学生は大体どこも同じ時期に試験だからみんな一斉に休んでしまい、店長が大変になってしまうから私は絶対に休まなかった。



大事な卒業試験前も、なんなら国家試験前も迷わずシフトインした。




大学は首席で卒業した。



国家試験もちゃんと合格した。




店長が10月に異動する前に、当時お酒が飲める人は私と店長しかいなくて、2人でビールを飲みながら本気で将来を相談したことがあった。



「本当にこのお店が大好きなんです。卒業したくないです。なんなら大学3年生くらいに戻りたいです。」




そんな無茶なことを泣きながら話した。



「せっかく国家資格を取るんだからちゃんとその道に進んだ方がいい、これは誰でもいつでも出来る仕事なんだから」


飲食業界の人は普通なら残ってくれと言いそうなのに、わがままを言う私をなだめてくれた。


そのあと店長は北海道に異動が決まった。



最後の出勤のとき「3年半本当にありがとう」と握手をしてくれて、お互いにキッチンの裏でボロボロと泣いてしまった。


お礼を言うのは私の方です、なにひとつわからない私をこんな風に育ててくれたのは紛れもなくこのお店でした。


涙に詰まってなにも言えなかったな。


国家試験が終わると、私はさらにシフトインしまくった。現実を見たくなかった。大学も授業なんてないし卒業式を控えてるだけだから、早朝から夜までお店にいた。


店長が異動して新しい店長になったことで少し諦めはついていたけれど、やっぱり未練はタラタラで就活は一切してなかった。良い根性だ。



大学の先生からどうするつもりなんだと何度も電話がかかってきて怒られた。



結局3月最後の1週間で就職先を決めた。マイナーな国家資格だからどこに行っても「是非うちに来てください」状態で、本当にナメた就職活動だった。




カフェ店員最後の出勤の日、大きな花束と手作りの卒業証書と卒業アルバムをプレゼントしてくれた。


最後の日は1日中レジに立たせてもらった。4年もいればホールもキッチンも出来るようになっていたけど、私は注文を取ってドリンクを出すレジがとくに好きだった。


全てが最後だと思うと何度も涙が溢れそうになった。


営業が終わって、辞めたくないとやっぱり泣き崩れたし、後輩も辞めないでください〜って泣いてたし、こんなにも名残惜しいことってある?ってくらい泣いた。


なにかをやり遂げたことが今までなかった。部活とかスポーツをやってこなかった私が、唯一頑張り通したことがカフェ店員だった。



医療系の専門職に就いた今でも、患者さんを前にしたらやっぱり接客の根本はあの頃の自分がいる。


治療効果も大事なことだけど、それ以上に人対人の仕事だと思ってるから、まずは患者さんとしっかり会話をして信頼関係を築くことを大事にしてる。


あのときアルバイトをしてなかったら、初対面の人を目の前に私はなにも話せてなかったかもしれない。



そうそう、北海道に異動した店長は社員を辞めて東京に帰ってきてしまった。




たまたま転職先が隣駅ということが判明して、つい最近飲みに行った。



「色んな店舗を見てきたけど、やっぱりあの店舗が最高で最強だった。自慢のお店だったし、人生の財産だった。出来ることなら過去に戻ってあのメンバーであのお店をまたやりたいね」と話してくれて、今までの全部を思い出して、聞き終わるまで泣かずにはいられなかった。



風の噂で、新しい店長になってからアルバイトの入れ替わりが激しくてみんな続かないと聞いて悲しくなった。





人生がひっくり返ったアルバイトのお話、私の中の尊い宝物で、今の私の仕事のブレない軸で、私の強みで、本当に自慢の4年間だった。




就職に背中を押してくれた店長、ありがとう。




今の仕事も結局大好きだけど、いつかまたカフェの店員さんになりたいな。






今月末はあの頃のみんなと集まるよ。